富山県魚津市発祥の米騒動とは?詳しい場所はどこ?

富山県でおよそ100年前に「米騒動」がありました。

昔社会で習いましたよね。また映画で「大コメ騒動」というのもありましたからそれで知っている人もいるでしょうね。

米騒動は富山で起こった米の値上げに対する騒動です。

スポンサーリンク

発生したのはいつ?

1918年(大正7年)7月22日の出来事です。100年ちょっと前です。

その年の他の主な出来事は・・・

  • 第1次世界大戦(1914年開始)が終わった年
  • シベリア出兵
  • 松下幸之助が松下電器器具製作所(現パナソニック)を設立
  • 寺内内閣総辞職、原内閣成立

発生した場所はどこ?

場所は富山県魚津市(当時は魚津町)。海辺の町です。

「海の駅 蜃気楼」という施設がわりと有名です。そこが目安になりますね。

道の駅から出る際、信号を右に曲がり車で4分、距離にして1.5kmほどの所にありますよ。

海沿いを走るので一回右に曲がる必要はあります。

 

現在、「米騒動発祥の地」として残されています。1月の寒い雪のちらつく日に行ってきました。

CIMG1795

中の見学は許可がいるようで入れませんでした。建物は外装は改築され新しくなっています。

CIMG1797

解説版の内容です。

CIMG1799

目の前は道路を挟んですぐ海です。石碑には「米騒動発祥の地」と表記されています。

発祥の地はこの地とされているようですが、それより以前に明治時代から米の値段の高騰に対し、騒動は起きていたようです。

ただ、全国的な暴動に発展したのは1918年なので、その年に起こったものとされているようです。

米騒動の原因と内容は?

現代から考えると、米の値段が上がっただけで、なぜ暴動にもなるのかと疑問にも思うかもしれません。

当時は貧しい人が多く、その日に食べるお米をその日に買う人が多かったようです。子をたくさん抱えた漁師の妻たちが我慢しきれず、騒動を起こしたようです。

倉から船へ米を積み出す作業員たちに中止をせまったそうですよ。

 

米の値段が上がり続ける一方で、目の前の浜から地元の米がどんどん運びだされていく現状に漁師の妻たちは力を合わせて立ちあがったのだそう。

米が運びだされるから、米の値段が上がると思ったのですね。

米の値段が暴騰していった本質は、ロシア革命によるシベリア出兵が関係しています。『出兵報道を受けて、全国で米の需要増をみこした投機的な買い占めや売り惜しみが起き、米価が急騰』したようです。

漁師の妻たちの騒動は当時新聞で報じられました。

さらに井上江花というジャーナリストが全国の有力紙に記事を送って騒動が全国的に発展したようです。広がった騒動は50日間にもおよび、70万人を超える人が参加したそうです。

国内最大級の民衆運動は、軍隊までも出動する騒ぎになりました。結果、寺内内閣は総辞職に追い込まれて、次は平民宰相と呼ばれる原敬の内閣が誕生しています。

「米騒動」豆知識

今の子たちは「米騒動」ではなく、「民衆騒動」として習っているらしいです。

2002年、「ゆとり教育」の始まりの頃より、大幅に記述が減っていったそう。「米騒動」⇒「米騒動とよばれる民衆騒動」⇒「民衆騒動」と表記が変わっていったそうです。

2011年からは「脱ゆとり教育」に転換していますが、「米騒動」の表記は戻らなかったそうです。

 

実をいうと、魚津町では1918年以前明治の頃から米価の高騰に対する騒動は起きていて、その度に行政は救済に動いていたようです。

北日本新聞によると、『臨時貧民救済規定を定め、貧しい人に米の支給や安売りを行った』とか『騒動が起こると米穀商ら有力者らが救済の米を出し合っていた』ようです。このため、『魚津の米騒動は暴動じゃなく、貧民救済制度の発動を求めたデモンストレーションだった』とありました。

実際、米騒動は全国的には暴動に発展しましたが、魚津では大きな暴動がないまま鎮静化していたそうです。

まとめ

富山県魚津市で発生した米騒動について紹介しました。

1918年ですから100年ちょっと前に発生した出来事です。

詳しい場所は、「道の駅 蜃気楼」を目安にすると分かりやすいですよ。

スポンサーリンク