富山県魚津市発祥の米騒動とは?原因と内容は?

北陸には「北日本新聞」という地方紙があります。その中で、「米騒動100年」という記事がありました。米騒動といえば、昔社会で習いましたよね。富山で起こった米の値上げに対する騒動です。

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現在、社会科では「米騒動」と教えてない!?

北日本新聞(2018年1月1日版)によると、

『富山県内12市町村の小学校で使われている東京書籍の教科書を過去40年分調べると、2002年度版から「米そうどう」の文字が消えて「民衆騒動」と表現されていた。』

今の子たちは「民衆騒動」として習っているらしいです。2002年といえば、「ゆとり教育」の始まりの頃ですよね。それで大幅に記述が減っていったそう。「米騒動」⇒「米騒動とよばれる民衆騒動」⇒「民衆騒動」と表記が変わっていったそうです。

2011年からは「脱ゆとり教育」に転換していますが、「米騒動」の表記は戻らなかったそうです。

 

発生したのはいつ?

1918年(大正7年)7月22日の出来事です。今年は2018年なので、ちょうど100年前です。

その年の他の主な出来事は・・・

  • 第1次世界大戦(1914年開始)が終わった年
  • シベリア出兵
  • 松下幸之助が松下電器器具製作所(現パナソニック)を設立
  • 寺内内閣総辞職、原内閣成立

米騒動の原因と内容は?

現代から考えると、米の値段が上がっただけで、なぜ暴動にもなるのかと疑問にも思うかもしれません。当時は貧しい人が多く、その日に食べるお米をその日に買う人が多かったようです。子をたくさん抱えた漁師の妻たちが我慢しきれず、騒動を起こしたようです。

どのような騒動かというと、『倉から汽船へ米を積み出す作業員たちに中止をせまった(引用元:北日本新聞記事以下同)』そうです。

『米の値段が上がり続ける一方で、目の前の浜から地元の米がどんどん運びだされていく』現状に漁師の妻たちは力を合わせて立ちあがったのだそう。米が運びだされるから、米の値段が上がると思ったのですね。

米の値段が暴騰していった本質は、ロシア革命によるシベリア出兵が関係しています。『出兵報道を受けて、全国で米の需要増をみこした投機的な買い占めや売り惜しみが起き、米価が急騰』したようです。

漁師の妻たちの騒動は当時新聞で報じられました。さらに井上江花というジャーナリストが全国の有力紙に記事を送って騒動が全国的に発展したようです。広がった騒動は50日間にもおよび、70万人を超える人が参加したそうです。

国内最大級の民衆運動は、軍隊までも出動する騒ぎになりました。結果、寺内内閣は総辞職に追い込まれて、次は平民宰相と呼ばれる原敬の内閣が誕生しています。

発生した場所は?

場所は富山県魚津市(当時は魚津町)。海辺の町です。

現在、「米騒動発祥の地」として残されています。1月の寒い雪のちらつく日に行ってきました。

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中の見学は許可がいるようで入れませんでした。建物は外装は改築され新しくなっています。

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解説版の内容です。

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目の前は道路を挟んですぐ海です。石碑には「米騒動発祥の地」と表記されています。

発祥の地はこの地とされているようですが、それより以前に明治時代から米の値段の高騰に対し、騒動は起きていたようです。

ただ、全国的な暴動に発展したのは1918年なので、その年に起こったものとされているようです。

その他

魚津町では1918年以前明治の頃から米価の高騰に対する騒動は起きていて、その度に行政は救済に動いていたようです。

『臨時貧民救済規定を定め、貧しい人に米の支給や安売りを行った』とか『騒動が起こると米穀商ら有力者らが救済の米を出し合っていた』ようです。このため、記事には『魚津の米騒動は暴動じゃなく、貧民救済制度の発動を求めたデモンストレーションだった』とありました。

実際、米騒動は全国的には暴動に発展しましたが、魚津では大きな暴動がないまま鎮静化しているそうです。

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