1000年続いた村が消えた|刀利ダムの歴史について

富山県福光町から奥深い山に入っていったところに刀利ダムというダムがあります。

石川県からも近いのですが、道が狭くアクセスが悪い所。

訪れる人はまばらの場所なのですが、寒い11月の終わりあたりに訪れてみました。

スポンサーリンク

刀利ダムとは?

富山県福光町の山奥にある、この刀利ダム。

静かな山の中に佇んでいて、少し古い感じのするダム。完成したのは昭和42年です。

ダムの高さ100mと、それほど高くはありません。

しかし垂直に100m下が見えますし、下部分が暗いんです。私的には何となく怖く感じるダムです。看板を見てみるとダムのデータは以下の通りです。

  • コンクリートのドーム型アーチ式ダム
  • 高さ101m
  • 長さ229.5m
  • ダムに溜まる水の量、3140万㎥(東京ドームの約25倍)
  • 水の溜まる広さ、1.03㎡(東京ドームの約22倍)
  • 工事のお金40億円

刀利ダムの歴史

あるおばあさんからこのダムの歴史を聞いて興味を持ったんです。

私は介護の仕事をしていて、利用者の一人がのあるおばあさんがこのダムの下流地域に住んでいました。

「福光に住んでいたなら、刀利ダムに行ったことありますよ」と私が話したきっかけでこのダムの歴史を知るようになります。

 

このダムが出来たのは昭和42年。

昭和42年以前はダムは当然ありませんから、台風などで大水になった時は下流地域が田んぼに水がついて大変だったそうな。

逆に日照り続きの時は、自分の集落に水を引くために争いがあったのだそう。夜も交代で水の見張りをしていたとか。

大水と日照りが大変なのはどこの地域でも一緒ですから、ここに限った話ではありません。ここも漏れずにそんな話があったということです。

 

そんな状況が続いていて、下流地域の人はずっと大変でした。

大水と日照りを解決するには、ダム建設しかありませんが、話は簡単に進みません。

というのも、刀利ダムのある場所の地域付近とその上流には村があったから。

 

ダムが出来てしまっては、もちろん村は水没して消滅してしまいます。

村の人は反対するのは当然です。

「ダムに沈んだ村・刀利(谷口寛作著)」によると、平安時代の頃より村はあったそうな。1000年以上続く村を簡単になくす訳にはいきませんからね。

「刀利ダム絶対反対」ののぼりを立てて反対したのだそう。

 

しかし、下流地域の人にとっては生活がかかっている訳です。

毎年、日照りと大水に悩まされていては、生活が大変です。

そこで、松村謙三代議士の刀利の村人に対し幾度と説得したのだとか。そして、ダム建設に及ぶことができたのです。

刀利ダムには松村謙三代議士の像が立っています。

私は今回以前にも何度か訪れていますが、なぜこのダムに銅像が立っているのか分かりませんでした。

このダム造成の功績者だったわけです。

昔の村の痕跡ですが、ダムの水量が少ない時には、建造物跡をみることができます。

ダム造成の前には確かに人々の生活があったのだと伺い知ることができます。

刀利ダムの場所について

福光の山奥にあるこのダム。

石川県側に向かって車で走っていけば、県境に近いのでわりとすぐに石川県に入ることができます。

道は狭くて怖い場所もありますが。

石川県に入れば、金沢の奥座敷と言われる湯涌温泉が程近くにあります。さらに進めば北陸大学があって、もうすこし進めば賑やかな金沢の街。

 

さて、この刀利ダム、「ダムに沈んだ村・刀利」の本によると、昔は戦(いくさ)の上でかなりの要所だったそうな。

戦国時代には、高山や尾張・美濃への近道、また五箇山から金沢(加賀)への道として往来が激しかったのだそう。

戦の上でかなりの要所になるので、武田信玄、上杉謙信、北条早雲、織田信長、豊臣秀吉、前田利家、神保長職らの武士も、この刀利の地の土豪(その土地で勢力のある者) と関わっていたとのことです。

まとめ

刀利ダムの歴史について紹介しました。

今は静かなダムとなっていますが、ダムの底には1000年以上続いた村がありました。

他詳しくは、「ダムに沈んだ村・刀利(谷口寛作著)」を参考になさってください。(おわり)

 

スポンサーリンク