富山県福光町から奥深い山に入っていったところに刀利というダムがあります。
私は何回か行っていますが、すれ違う車もほとんどなく訪れる人はまばら。
ダムも深くて大きくちょっとした怖さを感じる所です。
このダムの底に昔、村があったんです。
刀利ダムとは?
富山県福光町の山奥にある刀利ダム。
静かな山の中に佇んでいて少し古い感じのするダムです。完成したのは昭和42年。
看板を見てみるとダムのデータは以下の通りです。
- コンクリートのドーム型アーチ式ダム
- 高さ101m
- 長さ229.5m
- ダムに溜まる水の量、3140万㎥(東京ドームの約25倍)
- 水の溜まる広さ、1.03㎡(東京ドームの約22倍)
- 工事の費用40億円
私はダムは割と好きで見て回っていますが、ここはなかなか怖く感じます。
他のダムは水の出るところは斜めになっているのが多いですが、ここは垂直になっていますので真下を見ることができます。
いつも恐る恐る欄干から覗き込んでいます。
刀利ダムの歴史
あるおばあさんからこのダムの話を聞いて興味を持ったんです。
私は介護の仕事をしていて、利用者の一人であったおばあさんがこのダムの下流地域に住んでいました。
「福光に住んでいたなら、刀利ダムに行ったことありますよ」と私が話したきっかけでこのダムの歴史を知るようになります。
昭和42年以前はダムは当然ありませんから、台風などで大水になった時は下流地域が田んぼに水がついて大変だったとのこと。
逆に日照り続きの時は、自分の集落に水を引くために争いがあったのだそう。夜も交代で水の見張りをしていたとか。
大水と日照りが大変なのはどこの地域でも一緒ですから、ここに限った話ではありません。ここも漏れずにそんな話があったということです。
そんな状況が続いていて下流地域の人はずっと大変でした。
大水と日照りを解決するにはダム建設しかありませんが、話は簡単に進みません。
というのも、刀利ダムのある場所の地域付近とその上流には村があったからです。下刀利、上刀利、滝谷の3つの村と中河内、下小屋という集落がありました。
ダムが出来てしまっては、もちろん村は水没して消滅してしまいます。
村の人は反対するのは当然。
村は平安時代の頃よりあったとのことです。1000年以上続く村を簡単になくす訳にはいきません。
「刀利ダム絶対反対」ののぼりを立てて村をあげて反対したのだそう。
しかし、下流地域の人にとっては生活がかかっています。
毎年日照りと大水に悩まされていては生活が大変。
そこで、松村謙三という代議士が刀利の村人に対し幾度と説得したのだとか。村人も下流に住む人々を思い反対運動を辞めました。そしてダム建設に及ぶことができたのです。
刀利ダムそばには松村謙三代議士の像が立っています。
私は以前にも何度か訪れていますが、なぜこのダムに銅像が立っているのか分かりませんでした。
このダム造成の功績者だったわけです。
歴史が分かって訪問すると何か感慨深いものがあります。
1000年続いた村を沈めなければならない村人の心情はいかばかりだったろうか、この代議士も話をつけるには苦労したろうに・・・そう思うとこのひと気のない場所の空気感と相まって何だか切なくなりました。
昔の村の痕跡ですが、ダムの水量が少ない時には建造物跡をみることができますよ。
ダム造成の前には確かに人々の生活があったのだと伺い知ることができます。
「ダムに沈んだ村・刀利(消えた千年の村の生活と真宗文化、谷口寛作著)」という本によると、この地は山峡の割には耕地面積が広くて陽当たりもよくて、また奥には森林があり山の幸にも恵まれていたとのこと。
自給自足の生活をしていたとのことです。
冬はいっぱい雪が積もって大変ですが、春秋には祭りをする等楽しみもたくさんあったようです。
そこには他に違わず普通の暮らしがあったんですね。
刀利ダム親水公園
富山方面からダムを左側の道を行くと刀利ダム親水公園という場所があります。
ダム湖そばにある小さな公園。トイレもあります。
公園のそばには「懐郷 上刀利 下刀利 滝谷」と彫ってある石碑があります。そして私が行った日には横の胸像下には生花が供えてありました。
今でも故郷を大切に想い足を運んでいる人がいるんです。そう分かると、なんだか嬉しくなりました。
公園の隅には、小学校中学校刀利分校跡の石碑があります。
この静かな空間もかつては子供達の声があふれていたんだろうな、そんなことを思いつつ、この日は蝶が舞っていました。
静かな空間で石碑と花と蝶・・・
「天空の城ラピュタ」では鳥でしたが、そんな雰囲気が脳裏をよぎりました。
この日は木を切る音が気になりましたが、本当に静かだったらしばらく佇んでいたい・・・そう思える空間でした。
刀利ダムの場所
福光の山奥にあるこのダムですが石川県との県境に近い所にあります。
なので車で走っていけばわりとすぐに石川県に入ることができます。
道は狭くて怖い場所もありますけども。
石川県に入れば、金沢の奥座敷と言われる湯涌温泉が程近くにあります。さらに進めば北陸大学があって、もうすこし進めば賑やかな金沢の街。
さて、この刀利ダムは「ダムに沈んだ村・刀利」によると昔は戦(いくさ)の上でかなりの要所だったそうな。
戦国時代には高山や尾張・美濃への近道、また五箇山から金沢(加賀)への道として往来が激しかったのだそう。
戦の上でかなりの要所になるので、武田信玄、上杉謙信、北条早雲、織田信長、豊臣秀吉、前田利家、神保長職らの武士も、この刀利の地の土豪(その土地で勢力のある者) と関わっていたとのことです。
「つわものどもが夢の跡」
そんな句も思い起こさせる場所でした。
まとめ
刀利ダムの歴史について紹介しました。
今は静かなダムとなっていますが、底には1000年以上続いた村があったんです。(おわり)
出張で、富山に2ヵ月ほど滞在することになり休日、ダム巡りの候補地を探しているときにこちらのサイトを拝見させていただきました。 湖底に沈んだ村の話はいくつもありますが、向かう先の歴史を知ることができ有難くおもいます。
少しでもお役に立てたようで嬉しいです。
刀利ダムはダム好きであれば是非行って頂きたい場所です。
富山での滞在、楽しんでくださいね。