「まんが道」にも 登場していた本屋。文苑堂高岡駅前店が閉店へ。

「ああ、高岡駅前の文苑堂書店、閉店するんだ」。

そのニュースを聞いた時、悲しいというほどではなく、なんとなく寂しい、時代の変化へのあきらめも入り混じった不思議な気持ちになりました。

そこは「まんが道」という漫画にもでてくるように藤子不二雄両氏がよく通っていた本屋さん。

ドラえもん始め、藤子不二雄氏の漫画が大好きだった私にとっては密かに彼らに会える場所だったのです。

高岡駅正面の昔ながらのアーケード街にあるこのお店は、昭和の空気をそのまま残していました。

しかし、昭和と平成の74年の年月を経て、令和元年5月26日に閉店になりました。

藤子不二雄氏に興味のない人にとっては、ある一つの書店が消えただけですが、彼らの漫画で育った私にとっては非常に意味のあることなのです。

私はこの出来事を留めたいと思い言葉を綴ります。

文苑堂高岡駅前店が閉店へ

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平成27年に北陸に新幹線が通りました。

富山と石川県金沢の間にある高岡にも新幹線は止まりますが、高岡駅からバスで8分ぐらいの少し離れた「新高岡駅」という所に停まります。

新高岡駅の方は近くにイオンがあって、わりと賑やかです。若い世代は新しいものが好きですので、街のにぎわいはそちらへ移っていきました。

高岡駅周辺の街中は駐車料金がかかります。

暑い日も寒い日も外を歩かなければなりません。北陸は雪が降りますし、今は夏は暑すぎます。

ですから無料で停められて、快適温度でお買い物できる大型小売店へ足を運ぶのは自然な流れです。

さらに駅近にある高岡唯一のデパート「大和」も同じく令和元年8月に閉店しました。

それで人が旧市街の方には流れにくくなって、アーケード街には静かな時間が流れるようになりました。

でも私は好きでした。

私は賑やかなところは特に好きではありませんし、昔と変わらぬこの風景が、藤子不二雄氏がいた世界に近いのではないかと、勝手に思っていたからです。

閉店前の文苑堂書店へ

「やはり閉店前にもう一度行っておきたい」

そう思うのは藤子不二雄好きとしては自然の流れです。

車で行ったのですが、この本屋さんは駅前なので駐車場がありません。近くの有料駐車場に停めて行ってきました。

この日は平日で青空がみえる心地良い日でしたが、アーケード街の人通りはまばら。

最近のいつも通りの風景です。

記憶だけでなく記録にも留めておきたいと店舗前で写真をパチリ。

 

お店の前には張り紙がしてあります。

「昭和21年から営業してきましたが、この度(令和元年)5月26日に閉店することになりました、これまでありがとうございました」

文章はもっと長かったですが、このような感じの内容です。

昭和21年からというと約74年営業していたということです。

74年というと、一人の人生分ぐらいの長さ。長いようで、終わってしまう今となっては短いようで不思議な感覚でした。

 

店内はあまり広くはありません。許可を得て撮影させてもらいました。

1階

1階

入り口を入ると右側にレジがあります。

目立つ場所にはベストセラー本や新刊が並びます。

入って左側に行くと2階に続く階段があります。

2階

2階

2階には、漫画本が多く並びます。

一角に藤子不二雄氏の作品やグッズが並ぶコーナーがあります。

私にとって、ドラえもんは「てんとう虫コミックス」でした。昔読んでいた本が並んでいると嬉しくなります。

当時は360円ぐらいだったはずです。

このお店ではないですが、幼い私が本を買いに自転車に乗って意気揚々とでかけます。

でもまだ新刊は発売されてなくて、がっかりして帰ってくるのです。そんな日が思いだされます。

藤子先生のサイン

「藤子先生のもので何か本物ってあるんですか」

と店員さんに聞いてみたら、額のサインがそうであるとのこと。

ドラえもんの画なので、藤子F先生の字なのでしょう。1980年5月27日に訪れたようです。

藤子F先生は昭和8年(1933年)生まれですから、47歳ぐらいの時です。

その時は思いませんでしたが、後々違和感を感じました。

「あれ、先生の生の字って初めてみたかも・・・」

そうです。漫画は人の書いた字ではなく機械で書いた字ですからね。

ああ、先生はこんな筆跡なのだと、嬉しくなりました。

 

お店に入って見回ってから「ここ、閉められるんですね」と店員さんに聞くと、

「この人通りでは、なかなかお客さんが来なくてね・・・」

そんなことを言われました。

やはり、お客さんが少なくなっているからというのが大きいのでしょう。

文苑堂駅前は閉店になりますが、建物はしばらく残っているそうです。

まんが道にも登場した本屋

「まんが道」とは、満賀道雄(藤子不二雄Ⓐ氏がモデル)と才野茂(藤子・F・不二雄氏がモデル)の漫画家を目指す自伝的な物語です。

お二人は、こんな風に漫画家になっていったのだと分かる漫画なんですね。

漫画には実在する場所も多く登場するのが特徴。

それでこの文苑堂書店も登場しています。

お二人は手塚治虫氏の漫画に非常に感銘を受けていました。手塚氏の漫画を置いてあるのは、この文苑堂書店だけだったそうで、足しげく通われていたのです。

 

藤子F氏は、昭和8年生まれで18歳で東京に行きました。

本屋は昭和21年開店ですから、13歳から18歳までの5年間の間に通っていた本屋ということになります。

藤子A氏は、新聞社に2年勤めてから東京に行っているので2年長いですね。

 

この本屋は店員さんに以前聞いたのですが、建て替えはしておらず当時の建物のままなのです。

ですから藤子先生の足跡をたどる時、当時の雰囲気を感じられる場所です。

私はドラえもんも当時は好きでしたが、21エモンや異色短編集が好きでした。ちょっとブラックな大人向けの漫画も描いているのです。

そんなわけで、以前から何度か訪れていたお店です。

地方で減っていく小さな本屋

この高岡駅前の文苑堂は、街の小さな本屋さんでした。

富山県内を車で走っていると、昔本屋さんがあった場所に、

空き店舗の看板を見かけることがあります。

ちょっと傾いた看板は時間の流れを物語っているようでした。

 

本屋の減少はもちろん時代の流れというのが大きいでしょう。

まずネット時代の台頭です。

本だけから情報を得るのではなく、スマホで簡単に情報を得ることができるようになりました。

わざわざお金を出して本を買う人が少なくなったわけですね。

それと、人の流れですね。

郊外に大型店ができると、車社会になってしまった今では、わざわざ駐車料金を払って街中に行く人は少ないです。

大型店であれば、本の種類も増やすことが可能ですからね。

 

私も本屋は必要というか、便利だと思うことがあります。

ネットは自分で検索しないと情報が出てきませんが、本屋は店内を歩き回ることによって、思わず気になってしまう情報もあるのです。

思いがけず取ってしまうその一冊が自分の世界を拡げてくれるかもしれません。

そんなメリットが本屋にはありますね。

 

富山県内でもそんなことで一軒もない自治体が出て来て問題になっています。

そのような対応として、例えば立山町というところではコンビニに書店が併設されているところがあります。

私も一度行きましたが、このようにアイデアを出し合って本屋を継続させようという動きがあります。

書店のある高岡とは?

高岡市は富山市に次いで2番目に人口が大きい自治体になります。

全国的には高岡銅器が有名な所です。

銅器で作られた高岡大仏があって、昔ながらの街並みが残っていて風情があります。

なぜ、古い町並みが残っているのかというと、戦争で空襲の被害を受けなかったからというのも理由の一つです。富山市の方は全国でも有数の被害でしたが、こちらはありませんでした。

あとは全国的ではないですが、富山県民なら皆知っている「高岡古城公園」もあります。広い敷地に神社や公園、博物館、小さな動物園と市民に親しまれている公園です。

藤子先生の足跡や作品に触れるには?

ここで紹介した「文苑堂書店」の他、先生の足跡や作品に触れることができる場所があります。

高岡古城公園も実は、「まんが道」の漫画中に登場しています。

相撲場の丘で二人は未来を話しあった話だったはずです。

他には、高岡駅前にはドラえもんのモニュメントがあります。

のび太君や静香ちゃん、ジャイアン、スネ夫も。

あとは、駅前に図書館があるのですが、藤子先生の漫画が多く置いてあります。私も何度か訪れました。

私はここに来る度に、先生はたくさん漫画を描かれたのだなあと感心しています。

また、「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」というミュージアムもあります。

先生の漫画の展示の他、ご本人自身の足跡も紹介された内容になっています。

ちなみに藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーのそばには、F先生の母校の「高岡工芸高校」があります。

さらには、漫画きまぐれ☆オレンジロードの作者、まつもと泉氏もこの高校を卒業されました。

そのことを知って藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーを訪れるのも良いかと思います。

この場所も文苑堂書店も高岡古城公園も高岡の大仏も高岡駅(新高岡駅ではありません)も徒歩圏内です。

二人がこの場所で生活し、夢を育んでいたことを実感できる場所です。

藤子不二雄氏と私

私は藤子不二雄氏の漫画を読んで育ったと言っても過言ではありません。

ドラえもんの他、パーマン、キテレツ大百科、21エモン、お化けのQ太郎、異色短編集等・・・

特に好きだったのは、「異色短編集」です。

「山寺グラフティ」は山形県の山寺駅周辺が舞台ですが、気になって実際に一人で行ってきましたからね。

 

基本F先生の漫画を読むことが多かったですが、大人になるにつれ、A先生の本も読むようになりました。

笑ゥせぇるすまん、魔太郎がくる!!、ブラックユーモア短編集等・・

子供の時も大人になってもお世話になっています。

ただ、単に面白いから好きというのではなく、学ぶべきことが多いのが先生の漫画です。

私にとっては「教科書」ともいえるべきもので、非常に影響を受けています。

 

先生の生き方も好きでした。

富山の少年が、漫画家を目指して東京へ行くんですよ。

私の身の周りでそんな大胆なことをする人はいませんでした。

学校行って、みんな就職する。これが一般的な流れです。

50年も前に、それも漫画家に対する評価も小さい時代に夢を抱いて東京に羽ばたいていった先生には尊敬の念しかありません。

藤子F氏は東京に行かれたあとは神奈川の川崎市に住まわれ、亡くなった時も漫画を描いている最中だっといいます。

私はその日のことを覚えています。

大学生で朝の新聞配達後にごはんを食べている時に、フジテレビを観ていてそのニュースを知りました。

その時の感情までは覚えていませんが、この日のことを覚えているということは自分にとって大きな出来事だったのだろうと思います。

先生は、まさに人生を漫画に捧げた人でした。

一つの思いを貫き通した人生はとても美しいと思います。

閉店から5年以上経って

早いもので閉店から5年以上が経ちました。

あの「文苑堂」はシャッターを閉じたままで今でも存在しています。

私は車でたまに横を通る度、やはり見てします。そして「あ、残ってる」と半ば安堵した気持ちになるのです。

古いものは壊され、新しいものに作り替えられていく世の中で、この静かに佇んでいるさまはとても貴重です。

しかし、いずれは無くなる日もくるでしょう。

その日までにしっかりと目に焼き付けておきたいと思ってしまうのです。

今はまだあるのでコツコツとあのアーケード街を歩く。そんな楽しみがまだ出来そうです。

 

本屋周辺の雰囲気は5年前とあまり変わらないような気がします。

平成27年に出来た新幹線の時期は、もっと以前ですし、周辺の建物も大きくは変わっていません。

イオンのある新高岡駅の方はというと、近くに高架橋ができて交通の便がよくなりました。

開発はこちらの方では進んでいます。

まとめ

「まんが道」に登場した藤子不二雄両氏にゆかりのある文苑堂書店は74年の年月を経て、令和元年5月26日に閉店しました。

大型店に人が集まる中で、時代の流れとして自然だったのかもしれません。

しかし、高岡の街で先生の足跡や漫画のキャラクターに触れることができます。

私も藤子不二雄ファンとして、この出来事は記憶に留めておきたいです。

あれから5年以上経ちましたが、まだ建物は残っており、当時の面影を感じることができます。

あと駅前に図書館があるのですが、藤子不二雄氏の漫画が置いてあります。図書館ですから無料で読めます。

ちなみに文苑堂書店の、ちょうど目の前にメロンパンアイスのお店がありました。メロンパンはドラミちゃんの好物ですよね。(おわり)

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